がんサバイバーの回顧録と日常

人生100年時代!まだまだこれからですぞ!

尊敬する人

『尊敬する人は誰ですか⁉』と聞かれて、私はいつも『う~ん、父かな~』と答えていました。何故、父なのか⁉それは自分自身も何故なのかは不明ですが、一番身近な存在で頼りになる人だったのかもしれません。実際のところ尊敬とは違う感情かもしれません。

 

私の父は特別な学歴はありません。昭和18年生まれで田舎の高校の農業科卒業。卒業後は地元の鉄工所に数年勤務していたそうですが、結婚をして数年後の昭和40年頃に地元の町役場に勤務。

私が子供の頃は、国体の開催に向けて全国の国体に視察に出掛けていました。昭和57年島根県で開催されたくにびき国体で、私の住んでいた町ではフェンシングが開催されました。ですが、島根県の小さな町には全国から来られる選手の皆様の宿泊施設はありません。という事で、選手の方は個人の家に民泊されたようです。父の仕事の関係で、私の家には埼玉県の選手(高校生の女性2・3名と男性の監督1名)の方が宿泊されました。当時小学生だった私や、中学生だった兄は都会から来られた女子高生にドギマギした記憶があります。(写真も残ってます)

この時の食事はもちろん各家庭で手作りだったんですが、各家庭でバラつきがないように、晩御飯は何を出すか事前に献立が決まっていて料理の勉強会があったと聞いた記憶があります。

懐かしい思い出ですね~。あの選手のお姉様たちはお元気なのでしょうか⁉

 

父は40代の時には自費出版ですが、数年かけて自分の住んでいる集落の本を書きました。

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全264ページ!まあ、父の自己満足本ではありますが当時はインターネットもない時代ですから、小さな集落の事を本にするためにかなりの時間を要したと思います。もちろんパソコンもない時代です。当時自宅にワープロがあったかも怪しいです。

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本と同じ景色を別アングルで…

自分の生まれ育った集落を心から愛して本にまとめれるなんて我が父ながら尊敬します。

 

定年退職後は本格的に米作りがしたい!と頑張っていました。確かに退職後のお米の方が美味しくなっていました。

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これは退職後に作った名刺です。

 

名刺に書いてある猪肉の関係で十数年前は鳥取大学農学部獣医学科の学生と交流があったようです。これもまた父の楽しい思い出でしょうか⁉

 

 

父は心筋梗塞を二回、肺がんにもなっていました。

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部屋に置いてあった新聞の切り抜きの中には、肺がん生存率の文字が!肺がんは私の乳がんよりも3~4年前だったので5年生存はクリアしていました。肺がんの出来た場所が手術が困難な場所だったために抗がん剤治療と放射線治療をしていましたが、最近はがんの影は消えたと聞いていました。

 

実は父もブログをしていまして....私よりもずっと先輩で定年退職後にパソコン教室に通ってなんと15年も続けているんです。ブログの内容はもちろん米作り、地域の事、田舎の風景、趣味の旅行(年に2~3回)、イノシシの事や、野菜や草花、虫や自然の話などの日常を綴ったものです。ちなみにブログのテーマはほとんど私と同じで『がんに負けない、人間どうせ死ぬから楽しく生きる....』のようなテーマです。

 

そしてブログを15年も続けているのもすごいんですが、投稿数がなんと5,500記事!この一年は全くブログを更新していませんでしたが、月の訪問者数は3,000~4,000人⁉脱帽です(>_<)

 

そしてそして尊敬する人でもあり、割と話の分かる父でもあり、帰省時には父と母と三人で母の手料理でお酒を飲みながら近況報告をするのが楽しみでした!昨年のお正月に帰省したのが最後で、その後はコロナの影響で全く顔を見る事も出来ず....

 

nyugan-survivor.hatenablog.com

 

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なるべく一週間に一度は電話をするようにしていましたが、気付くと2週間経っていたり....

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先月の5月28日に田植えは終了!29日は母と二人で家から20分程のスーパーに買い出し!夜は湯飲みに三杯程の焼酎を飲んで就寝!

 

5月30日の朝に亡くなりました。

あまりにも急すぎて… 

もう会えないんだなと.... 

でも仕方ないですよね。こればっかりは.... 

 

幸い最後に電話で話をしたのが亡くなる三日前!内容は毎回ほとんど同じで『元気⁇変わりはない⁉体重増えた?ご飯食べれてる?』って感じの内容でした。

肺真菌症でなかなか体重が増えず、二月に入院治療をして良くなったと聞いていたんですが、それでも食欲がなかなか戻らなかったようです。

そして私は容赦なく『お父ちゃん、棺桶に片足突っ込んでたらダメだよ~(>_<)』とよく言ってました。

 

そして私は次もお父ちゃんの子供で産まれて来たいな~と思っています。