がんサバイバーの回顧録と日常

アラフィフになってからの悩みだったり、どこにでもある普通の日常の話のブログです。

実家の両親

昨年はコロナの影響でGWもお盆休みも、もちろん年末年始の帰省も出来ませんでした。実家は両親の二人暮らしです。車で30~40分位の所に姉夫婦が住んでいますが、仕事もしていますし、なかなか実家へは行けないようです。

 

両親ともに70代後半です。母は51歳の時に、交通事故に遭い脳挫傷の後遺症があり、父は7年程前に肺がんになり抗がん剤放射線治療をしていて、最近は体重が落ちてからなかなか増えずちょっと心配しています。とはいえ、二人でなんとか元気に暮らしてくれているので有り難いです。

 

直ぐに帰省出来る距離ではないので、なるべく1・2週間に一度は電話をするようにしています。携帯はスマホじゃないしパソコンにもカメラは付いてないし、顔を見て話が出来なのは寂しいです。

 

電話の内容は『最近どう⁉』とか『ご飯は食べれてる?』とか他愛もない雑談して大体5分位で終了します。最後は必ず母が『あんたも気を付けないよ』と言ってくれます。※山陰の方言では「あんた」っていうのはそんなに失礼な言葉ではなくて、親しい間柄の人に使ったりします。『あなたも気を付けてね』という意味です。

 

幸い今は山陰はコロナの感染者はそこまで多くはありませんが、今後どんな風になるのか⁉ 感染者が少なく高齢者が多い地方だからこそ帰省出来ないので、両親にはコロナが収まるまでは元気でいるように!何かあっても帰省出来ないよ!と言っています。こんな事言ってもどうしようもないけれど、帰省して何かあって後悔したくないので我慢です‼

 

ここまでは、コロナで帰省出来ないよ~(>_<)というお話でした。

 

ここからは子供の時の話です。

私は三人兄妹の末っ子です。結構お父ちゃん子でした。小学1年生の時に自転車で転倒して、頭を何針か縫う怪我をした時に麻酔なしで縫われたんですが、その時に泣きながら『お父ちゃ~ん!お父ちゃ~ん‼』と叫んでいました。(これは記憶にあります)縫い終わってから看護師さんが父にこう言ったそうです。『この子は変わった子だね!普通はお母さ~んって泣く子が多いのにね~』この時の父はちょっと嬉しかったみたいで、今でもこの話を持ち出して来る時があります。

 

でも普通に中学生の時に思春期はありました。父の事が嫌いとかではなくて、一緒にいるところを友人に見られたくないとかそのくらいですが.... まあ、それも一時的なもので終了しました。

 

母の事は....もちろん普通に大好きですよ!(この年齢で大好きはあれですね)ちなみに末っ子だったのでかなりの年齢まで一緒に寝ていました!

帰省すると、私の好きな物を作って待っていてくれます。母の作ったおでんと茶碗蒸しが食べたいな~!おでんと茶碗蒸しは自分では作らない(作れない⁉)ので毎回リクエストしています。

 

明日にも関東圏は緊急事態宣言発令されるようですが、少しでも早く収束してみんなが普通に笑いあえる日が来ますように....