がんサバイバーの回顧録と日常

アラフィフになってからの悩みだったり、どこにでもある普通の日常の話のブログです。

乳がん仲間...なりたくなかったよ...

こんばんは~。

23日から27日まで実家に帰省していました。

『疲れた』の一言です。

自宅から実家まで、少しの休憩を挟んで車で約4時間~4時間半です。

まあ、色々とありましたが無事に大きなトラブル(いざこざ)もなく終了して、ホッとしてます。

 

コロナが流行りだして帰省もままならず、昨年5月に父が亡くなってから今回の帰省で6度目か7度目の帰省でしたが、ようやく実家も落ち着いてきたので、三年振りに友人に会う時間が出来たので会う事に...

 

数少ない友人の一人で、高校時代からの付き合いの彼女ですが、実は知り合う前から知り合うべくして友人になったのかも...

高校入学前に叔母から『うちの近所の子がパピヨンママと同じ高校に行くよ』と言われてましたが、私は『へぇ~』っていうくらいで、特に『なんて名前の子?』とかも聞かずでした。

学校はクラス数も少なく同じクラスになる確率は、今考えると高かったかもなんだけど、彼女と私は偶然同じクラスで、出席番号も一個違いでいつの間にか何んとな~く、仲良くなってました。とはいえ、いつも二人でいるようなベッタリな友人でもなくです。

 

そんな友人が乳がん仲間になりました。

乳がん仲間なんかになりたくなかったね。

乳がん報告された時の話とかです。

↓ ↓ ↓

nyugan-survivor.hatenablog.com

 

そんな、乳がん仲間の彼女と他愛のない話をしてきました。

私の第一声は『おっ、髪伸びたんじゃないの?』

その長さ懐かし~!

 

彼女が乳がんになる前は、自宅にお邪魔して手料理振るまってくれて、何時間もダラダラビール片手に飲みながら色んな話をしてましたが、今回は喫茶店で紅茶とケーキで三時間ダラダラ話してました。

 

実は彼女ステージ4で骨転移してるんだけど、仕事も辞めず続けているし、動けるうちに旅行行こうと思ってと、何度か家族旅行もしたみたいだし。

相変わらずいつもの彼女でした。

 

彼女は独身なんだけど、お兄さん夫婦が同じ敷地内に住んでるし、関西にいる妹さん夫婦とも仲がすごく良くて、とてもいい家族だな~と羨ましくなりました。

 

今度、乳がんの保険金が入ったらお兄さん夫婦と妹さん夫婦と一緒にハワイに行くとか言ってたな~。うんうん、いいね!

 

今は腰や股関節の痛みが強くて、杖ついて歩く事もあるみたい。

本人は立ち上がるのが大変でトイレとかが困ると言ってたかな。『歩き方が年寄りみたいになる』と笑ってたけど、そんな事気にならないよ。

痛み止めでなんとか生活してると言ってたけど、痛みの種類はその時々で変わるみたいです。でも、薬は効いているみたいです。

 

私自身が乳がんになって(今は元気だけど…)、『がん=死が近い人』みたいな扱いはイヤだなと感じていて、自分が乳がんになるまでは『がん=死が近い人』と思っていたんだけど、実際はそうじゃない人がほとんどだし。

病気の人と話をする時って、中々普通の表情って出来ないもんなんだよね…

そういう意味では看護士さんとかって凄いよね。場数踏んでるだけあって哀れんだ表情とかしないもんね。

 

だから、いつも通り普通の会話。

治療の事聞く時は『で、どうよ?今の状態は?』ってな具合。

 

大袈裟に『いや~、大丈夫~』みたいなのは自分がされるのいやだったからね。

 

別れ際は『また連絡するわ!今度どっか行こうや!』でバイバイ!

 

普段からLINEとか、ガツガツする感じでもないので2~3ヶ月に一度『調子どうよ?』と連絡入れてます。

そのくらいの距離感。